top of page

2020年12月に"Utsanga"というページに寄稿させて頂いた記事のリンクです。

https://www.utsanga.it/mido-works-how-we-look-at-things/


​日本語の記事内容は以下の通りです。
 

​---以下日本語記事内容ーー--

 せっかく機会を頂いたので、見ることについて私が良く考えている二つの事柄をご紹介したいと思います。

一つ目は我々がどうやってものを見ているかです。

一般的に言われている説明は以下の通りです。

「目の角膜、水晶体を通った光は、角膜と水晶体の厚さ、虹彩の大きさ等の調整により網膜上に画像として投影されます。網膜にある1億個以上のセンサーと呼べる神経組織が投影された画像の光に応じて信号を脳に伝送し、我々は物をみています。」

デジタルカメラはこれに似ていて、カメラレンズを通して導入した光をセンサー上に投影し、順序立てて記録装置に記録する。写真やブラウン管に出力する時は同様に順序立てて信号を明滅させます。センサー上に投影されたものや、写真やブラウン管に出力されたものは画像ですが、記録装置にあるものは信号(データ)であって画像そのものではありません。

我々の話に戻すと、我々は目で得られた信号を脳で見ていますと書きました。すなわち、網膜から得られた信号(画像そのものではないもの)を見ている(認識している)はずです。この話がこれを読んだ皆さんにお伝えしたい一つ目の事柄です。信号を脳で認識しているだけなのに、あたかも眼前にテレビモニターがあるように漠然と(本来不必要なものも一緒に)ものが見えているのかということです。信号の認識だけならば、画像は不要なのではないでしょうか? 私はこれが不思議でしょうがありません。見ているものを正確に紙やキャンバスに写し取る作業をやると必ず考えています。

二つ目はほぼ逆の話になります。明らかに、信号が脳内で処理されていることが良く分かる事例 “錯視”についてです。

有名な錯視の事例は、黒地に白い格子模様を入れると格子模様の交差部分に薄い斑が現れるヘルマン格子錯視や、水平に引かれた直線に短い斜めの交差線を入れると水平線が傾いて見えるツェルナー錯視等です。他にも同じ長さのものが違う長さに見えたり、同じ色が異なる色に見えたりする錯視があります。専門家によれば、見たものに対して脳が瞬時に解釈を加えるために錯視が起こるようです。白黒の画像が濃淡や形によっては立体に見えてしまうのはこれらの錯視の一部によるものと思われます。この錯視は、一つ目の事柄とは異なり、脳に送られた信号がデータ処理された結果による事例になると考えています。

絵を製作していて、突然見え方が変化してリアルになったり、線を一本入れるだけで緊張感が高まったりするのは、これらの錯視が関連している可能性があります。絵画表現の技術や解釈に関わる事柄として今後も錯視の持つ意味や効果について考えていきたいと思います。目の錯覚の意味や効果を、絵画表現の技法や解釈に関連するものとして、これからも考えていきたいと思います。

bottom of page